チームの前身は1978年に発足した企業チーム「清工建設」にさかのぼる。
各種神奈川県予選の台風の目としてその存在を知らしめ、都市対抗野球
神奈川県予選の決勝 に駒を進めたが3連敗し,惜しくも代表権を逃した
ということもあった。
1983年にはプロ選手を輩出するなどしたが、1985年に会社の倒産に伴い
チームは廃部し、同年クラブチーム「横浜球友クラブ」 として再スタート。
クラブチームとしての宿命である「資金」「場所」「人」「物」と格闘しながら、
クラブ選手権の県代表と して1992年からの10年間で6度も全日本
クラブ選手権南関東大会予選に出場したが初戦敗退が続く。
そして創設17年目の2002年、南関東大会7回目の挑戦でようやく
関東代表の座を射止め全国にその名を初めて披露し、全国ベスト8。
運営は、選手の部費、スポンサー費用により賄われている。 |